知識のブラックホール

知識収集活動全般。

『嫌われる勇気』とホリエモン(書評:『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』)

堀江氏の書籍は3冊目。たしか『稼ぐが勝ち?ゼロから100億、ボクのやり方? 知恵の森文庫 (光文社知恵の森文庫)」と『100億稼ぐ超メール術 1日5000通メールを処理する私のデジタル仕事術』だったかな。今回のお題はこれ。毎度のごとく長文です。

なぜ今更この本かというと、twitterだかyoutube経由で昨年話題になった『嫌われる勇気』と内容に共通点があるという話を目にしたので読んでみました。

私は世代的にいうといわゆるハチロク世代(1986年前後生まれの世代)。ホリエモンこと堀江氏はその上のナナロク世代(1976年前後生まれの世代)のちょっと上。一斉を風靡したIT企業経営者の著書は何冊か読んでいますが、一番親近感を覚えるのは堀江氏です。

以前の勢いはありませんが、サイバーエージェントの藤田氏、楽天の三木谷氏、元livedoorの堀江氏の三人の中で誰の下で働きたいか?、と聞かれたら堀江氏と答えるでしょう。

何故か?

この三者のうち堀江氏だけが自分でプログラムを書いてお金を稼いだ経験のある人間だからです。良くも悪くも合理的な堀江氏ですが、部下として働く側としては、不合理な規則や理不尽な仕打ちよりは合理的であるほうがありがたい。

例えば社員の仕事用のPCを会社から一定金額を補助したうえで自分で購入させる(選ばせる)という施策など、パソコン好きの技術者として納得いくものがあります。

容姿はともかく、技術系の人間とまともに話ができるというのは大きい。

なんだかんだ言っても犯罪者じゃないか、と言われるかもわかりませんが、実刑判決を受けた方で本を書いている方は結構いますし。少なくとも殺人犯ではないし。

以下、各見出しのタイトルは書籍のものではなく私が勝手につけたもの。私が読んだのはKindle版なのでページ番号は表記できず。引用箇所の強調箇所はそのまま再現しています。

ホリエモンの生い立ち(第1章の感想)

第0章については堀江氏の近況報告みたいな部分が多いので省略する。出所後の堀江氏の一番の願望は「働きたい」だったらしい。

自分との共通点

逮捕前の著書にはあまり格好の悪い話は出ていなかったので生い立ちがよく理解できなかったが、本書では 意外な共通点を幾つか発見した。

  • テレビゲームを買ってもらえなかった
  • 頭はいいがクラスの人気者ではなかった
  • 学校より塾が楽しいという感覚

一つ目の共通点であるが、「私は親から教育上よくない」という理由でテレビゲームを禁止されていた。もちろん、携帯ゲーム機で親に隠れてゲームをしたり、友達の家でゲームしていたことはある。

教育上いいか悪いかは別にして、こういう環境に置かれた子供は必然的に他のものに没頭するしっかない。堀江氏の場合はそれが百科事典やパソコンだったようだ。私は読書やプラモデル、そしてパソコンへと向かった。堀江氏の場合は中高一貫校という事情もあって中学校時代からパソコンに没頭できたようである。一方の私はというと、中学は受験勉強、高校(高専)は寮生活もあって、完全にパソコンにどっぷりとはハマれなかった。

中学校入学までの堀江氏は、田舎の天才児だったようだ。私はそこまで頭はよくなかったが、塾にもいかないのに成績のいい変な奴として少なからず顰蹙を買っていた。まあちょっと同類の匂いを感じる。

で、塾について。実は私は中学校3年の夏休みと冬休みしか塾に通ってない。貧乏だったからだ。中学校3年からの通信教育と、この夏期講習、冬期講習だけで高専に合格したわけである。その数少ない塾生活で思ったことは、「塾というのは頭のいい人間が正当に評価される」ということ。

私の知る限り、公立の小中学校では頭のいい子供への妬みは当たり前である。塾にでも入っていれば「塾で勉強しているんだから点数がいいのも当然だよな」となる。しかし、塾に通うでもなくテストの点数がいいとどうなるか。好ましく思われないのは当然である。

成績の良い子供にしろ、そうでないにしろ、学校はあまり楽しくない。この感覚がわからない人は、たぶん友達と遊ぶのが楽しかったんだろうと思う。捻くれ者、変わった家庭の子供にするとあまり楽しくないということはありうる。

ホリエモンが東大を目指した理由

中学時代にパソコンに没頭し、高校3年までギャンブルその他でろくに勉強していなかったらしい。 九州の田舎(というか両親)から確実に脱出したいが、親の反対を押し切る必要がある。高校生の堀江貴文氏がいろいろ考えた結果がこれ。

うちの親でも知ってる日本一の大学、東大に合格するしかないのだ。 それは失われた自尊心を取り戻すための挑戦でもあった。

親を黙らせる最高のカードが東大合格という結果を出すことだったらしい。合格の秘訣は以下の文章に凝縮されている。

勉強でも仕事でも、あるいはコンピュータのプログラミングでもそうだが、歯を食いしばって努力したところで大した成果は得られない。 努力するのではなく、その作業に「ハマる」こと。 なにもかもわすれるくらいに没頭すること。

後の章でも「没頭」というまわりから苦労しているように見えても本人にとってはそうではない、という好例か。

いま、福岡時代の自分を振り返って思うのは、僕にとっての勉強とは「説得のツール」だったことだ。

これもなかなか印象的。勉強する理由についてはいろいろな人がいろいろと勝手なことを主張しているが、大人を説得するためというのは新鮮。

いかにチャンスを掴むか(第2章の感想)

生い立ちでも触れられているが、麻雀好きだったみたい。大学時代の寮生活ではいわゆる麻雀部屋の住人だったとか。 高専の寮で寮生活を体験しているので、まあ想像はつく。私はギャンブルはめっぽう弱いので、麻雀には手を出さ無かっった。 一度だけ仲のいい友人が麻雀を教えようとしてくれたことがあるけど、国士無双とか役を覚える気がしなかった。

それでも、目の前に流れてきたチャンスに躊躇なく飛びつくことが出来るか。そこが問題なのである。

ヒッチハイク経験を題材に最初の一歩を踏み出す勇気について語っている。このあたりから冒頭で述べた『嫌われる勇気』との関連性がある。

少しでもおもしろいと思ったら、躊躇せず飛び込む。

「おもしろいと思ったら」がポイントかな。何を面白いと思うか、これ自体が個性だろうと。

すべては「ノリのよさ」からはじまるのだ。

高校生なんかの付き合いが悪いという意味でのノリがいい・悪いという言い回しは大嫌いですが、話に乗る、という意味ならわかる。

労働観について(何のために働くのか)

働くことは「なにかを我慢すること」であり、お金とは「我慢と引き換えに受け取る対価」だった。

言われてみれば確かにこの感覚だった。もう少し噛み砕くと、

多くのビジネスマンは、自らの「労働」をお金に変えているのではなく、そこに費やす「時間」をお金に換えているのだ。

サラリーマンのストレスの一番はたしか人間関係だったはずで、 いやな相手と長時間すごすことに嫌気がさしているはずで。

時間を差し出す、のはその通りなんだけど、「嫌な相手に」時間を差し出すがポイントかな。

で、そこから脱出するためにどう捉え直すか。

お金を「もらう」だけの仕事を、お金を「稼ぐ」仕事に変えていこう。
儲けるために働くのではなく、お金から自由になるために働こう。 要するにどういうことかというと、

仕事に対する意識が変わり、働き方が変わったから、お金から自由になれたのだ。

だそうで。なんかの自己啓発書に給料をもらう意識から稼ぐ意識で働きなさいというくだりがあったが、それと同じかな。 この本、ところどころ強調箇所がおかしくないか。ちょっと文章の練り込み足りなくないか、編集さんって感じだが。 私の感覚がおかしいのかもしれないが、堀江氏の名声?とやらに押されて編集者の校正が不十分なのではと思う。いや誤字脱字はないようだけど。

堀江氏の「やりがい」の定義

堀江氏の解釈だと、「与えられた仕事に能動的かつ創意工夫をしながら取り組む」とやりがいがでてくるらしい。

これはある程度の裁量を与えられていることが前提なら納得出来る。 私自身の経験としても、アルバイトとしてサーバ管理をしていた時、負荷分散とチューニングについては完全に任せてもらっていた。

プログラム担当といろいろと調整したり、こちらから提案したりと、かなり充実感があったのを覚えている。

ところが正社員として入った会社ではなかなか自分で工夫できる余地を見出せず、 完全に「やらされ仕事に」なっていた。

自分なりに工夫すると、小言ををつけられて潰される。これの繰り返しだった。

そういう経験からすると、この本の主張には頷ける。

仕事を好きになるには?

これは意外なことに堀江氏と斎藤一人さんの見解が似ている。 斎藤一人さんは一生懸命仕事をしていると楽しくなってくる。とおっしゃっている。

堀江氏のほうも

人は「仕事が好きだから、営業に没頭する」のではない。 順番は逆で、「営業に没頭したから、仕事が好きになる」のだ。

と書いている。この文章のあとに、

つまり、仕事が嫌いだと思っている人は、ただの経験不足なのである。
仕事に没頭した経験がない、無我夢中になったことがない、そこまでのめりこんだことがない、それだけの話なのである。

という表現をしている。これは仕事に限らず「対象に没頭した」経験不足と言いたいのであろう。引用部の一行目は少々簡潔すぎる。堀江氏はどうも要約しすぎるというか、表現を簡潔にしすぎる傾向がある。

斎藤一人さんにせよ、堀江氏の言い分を否定する気はないが、 その一生懸命になるきっかけ、没頭するきっかけ、は自分の内面から出てくるものだと思う。

この没頭したから好きになる、というパターンは他の選択肢がないか、一目惚れのような理屈抜きのインパクトに襲われたときにしか発動しないとも思う。人にはそれぞれ、一生懸命に取り組めるものがあると思う。何を面白いと思うか、何に対して一生懸命になれるか、これは人それぞれ違うはずで、このことを指して個性というんじゃなかろうか。

「何か」に没頭するために

ポイントその1

僕の経験から言えるのは、「自分の手でルールをつくること」である。

この文に続く文章を読めば同意できるのだが、これは言葉のチョイスに疑問。自分で目標と戦略を立てる方が私にはしっくりくる。

ルールというと違和感があるが、目標と作戦、ノルマを設定して実行ということらしい。

ポイントその2

遠くを見ないこと

去年話題になったらしい「嫌われる勇気」と主張している内容がそっくりだ。

そこで「今日という1日」にギリギリ達成可能なレベルの目標を掲げ、今日の目標に向かって猛ダッシュしていくのである。

今ここを懸命に生きるというアドラー心理学と同じことを言っている。

ペース配分なんかいらない。余力を残す必要なんかない。遠くを見すぎず「今日という1日」を、あるいは「目の前の1時間」を、100メートル走のつもりで全力疾走しよう。

やりたいことが見つからない理由について

これは参考になった。多くの人がやりたいことが見つけられないその理由

最初っから「できっこない」とあきらめているからだ。

これは確かに図星です。自分で自分を過小評価している。

逆にいうと、「できっこない」という心のフタさえ外してしまえば、「やりたいこと」なんて湯水のようにあふれ出てくるのだ。

「できっこない」以外にも道徳意識とか将来に悪影響が…というのもブレーキかな。自分はまだこのあたりが外せていない。

平均から抜け出すコツ

物事を「できない理由」から考えるのか、それとも「できる理由」から考えるのか。

社会的信用を気づくための最初の一歩について

それでも、ひとりだけ確実にあなたのことを信用してくれる相手がいる。
「自分」だ。
そして自分に寄せる強固な信用のことを「自信」という。

これはなかなかいい文章。刑務所帰りの、一度全てを失った人間が書くと説得力がある。ただ、「信用」より「信頼」の方が良かったのでは?

苦労について

自分で『苦労していない』という人がいたとしても、それは本人が苦労だと思っていないだけで、周りから見たら苦労しているものです。 逆に、自分が『苦労だ』と思っていることに限って、周囲には苦労と映りません。 ですから、周りの人から『苦労してるな』と思われることをして、その先にある楽をつかんでください

これは同意。twitterによると先日亡くなられた任天堂の岩田社長も「苦労したわけでもないのに周りから評価されたことがあなたの得意なことだ」という発言をされたことがあったらしい。

かけ算と足し算のはなし

小手先のテクニックや魔法のメソッドを探す前に、最初の一歩を踏み出せ、経験値を積み上げろという内容かな(意訳)。 自信ゼロの状態から経験を積むことで自信を一つずつ積み上げる。

同じ3を掛けるでも2×3よりも5×3のほうが大きいように、自分が2なのか5なのかによって、結果は何倍も違ってくる。 ゼロからイチへ、そしてできれば5や10へ、自分をもっと積み重ねていこう。

堀江貴文氏がこういう地道な積み重ねの必要性を書くとは意外。効率がどうのこうのと言うためには、最初のイチが必要。 某高専の体育の先生の話を思い出した。曰く、ゼロをイチにする労力と、10を100に、100を1000にする労力は違う、とかなんとか。

利己主義について(第4章の感想)

モロに先述した『嫌われる勇気』と話がにてる。他方は引きこもりの息子の例を出し、こちらは親からの自立を例にしている。

もし親孝行という言葉が存在するのなら、それは、一人前の大人として自立することだ。

親孝行を先祖供養に置き換えてもこれは成立すると思う。

親がどう思うかと考えるのはまだ子供の発想らしい。言われてみればそうかも。 親(や周囲)が自分のことをどう思うか、ということを気にするのは自己中心的発想だという、アドラー心理学と共通する。 この本だと「子供の発想」だと切り捨てるが、前述の『嫌われる勇気』も自己中と切り捨てている。

自由と「はたらく」について(第5章の感想)

責任が発生しないうちは、ほんとうの意味での自由も得られないのだ。

おなじみの自由と責任セット論。

働くことは、自由へのパスポートなのだ。

これはいい表現。 経済的な自由と精神的な自由が両立するならそうでしょう。たいていの人はどちらか、あるいは両方を失っている。 というか、精神的・時間的自由を差し出すサラリーマンという存在がいないと現代社会が成り立たないはず。

堀江氏の働く理由その2

死への恐怖感?を忘れるためとか描いてある。 堀江氏の以前の著書にも同じ死への恐怖が云々ってのがあった。どうも文章が浮いている気がしたのは前著と同様。

時間の価値とは?

時間とは、「命そのもの」だからだ。

私の見解は、時間を積分すると命になる、なので大同小異。 遊ぶときは遊ぶのに集中する時間、らしい。これは面白い。

意外なところ。8時間睡眠らしい。 そんなに眠れるというのは羨ましい。 しっかり寝た方が集中力も高まり、仕事に質も高まる。というのは同意。残業続きで睡眠が取れなくなってくると

最後に一言 by 堀江貴文(『おわりに』 より)

はたらこう。

余計なお世話じゃボケ。まあ就職しろじゃないところは盛大に評価する。

まとめ

確かに『アドラー心理学」との類似点は多い。まあ服役中に大量に本を読んだらしいので、その間に読んだ本の影響も多少はあるかもしれない。 日本人の感覚からすると、岸見先生の本を読むよりこっちのほうがしっくりくると思う。

哲学的な思想本としていきなりアドラー心理学にふれるよりも、具体的な個人の生き方の背景にある思想として読むほうが安全な気がする。隠し味というか、透かし絵のような感覚で。 例の本ははっきり言って劇薬なので、これくらいオブラートというか、ラッピングされているほうがショックが少ない。

人生にモヤモヤ感を抱えつつも、なかなか一歩を踏み出すことができない人におすすめできる本だと思う。

それではまた。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

稼ぐが勝ち ゼロから100億、ボクのやり方

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