知識のブラックホール

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お金にまつわるマイナスの思い出と向き合う(書評:『一生お金に困らない生き方』その2)

前回の続きです。

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心のクセ

対象は、心屋仁之助さんの、『一生お金に困らない生き方』。

一生お金に困らない生き方

一生お金に困らない生き方

第3章より。

貧乏な人には貧乏になる心のクセがあります。お金持ちの人にはお金持ちになる心のクセがあります。

というくだりを踏まえたうえで、いろいろと個人的に思うところを書いていこうかと。

お金に対する負のイメージ

まずはお金に対して持っているネガティブなイメージが、どこで形づくられたのか、その大本を探っていくことが大事です。
お金もうけは汚いとか、お金を使うの悪いことだとか、お金は苦労して稼ぐものだというイメージが、どこからきたのか、振り返ってみるのです。

というわけで(?)、自分の中のお金に対する負のイメージの原因を書き出してみました。

  • 家の手伝いをしないと小遣いをもらえなかった幼少時代
  • 皿洗い100円、風呂掃除100円(途中から50円)、洗濯物を干すと50円*1

お金を得るためには代償が必要だという刷り込み、ですね。同級生は風呂掃除一回500円とかいう家庭があったり。 頑張って皿洗いで一万円貯めたという、成功体験が裏目に出たかな。

サボればよかったんですね、サボれば。グレるとか親が根負けするような方向に。

  • 母と服を買いに行くと、必ず欲しい方ではなくて「安い方にしなさい」
  • 安くても古くても「それでいいでしょ」「(今、家にあるヤツで)別にいいでしょ」
  • やりくりに苦労する母親の姿
  • 鬱で寝ている父の姿、家のお金を持ち出す父の姿
  • お金がない、うちは貧乏だからという母
  • 金持ちの家庭は不幸だ(という父の負け惜しみ)
  • 小学校、中学校と高額なお年玉をもらう同級生が羨ましかった思い出
  • 1,500円のプラモデルが欲しくて(珍しく)駄々をこねたのに買ってもらえなかったりとか

これは存在給が低くなるのも当たり前。親からの無条件の愛が乏しい。セルフイメージも落ち込む。起業家に親が公務員とか電力会社とか安定した職業の家庭の子供が多いのもうなづける気がする。

欲しい服を買ってもらえない自分。自分より成績の悪い同級生より明らかに劣るお年玉の金額…。どれだけ子供の自尊心を気づけるでしょうか。

さらにいうと、結婚=貧乏というイメージもある。そりゃ父親が働かないってそういうこと。 そして、頑張らないと貧乏になるという強迫観念。

二宮尊徳の漫画形式の伝記を読まされたりもしましたね。よく考えるまでもなく、二宮尊徳って典型的な「働かざるもの食うべからず」思想ですよね。 戦後になってから二宮尊徳を盛んに取り上げるようになったという話も聞いたことがあります。 GHQというより資本家の陰謀ではないですか。

うちの両親は森信三氏の勉強会に出入りしていましたから、その森信三式の、清貧・やせ我慢哲学の影響も少なからず、あったのでしょうか*2

病気で会社を辞める前、確かにたいして働いてもいないのにこんなに貰っていいのかという違和感はありましたね*3。 どちらかというとお客さんに対して*4。 確かに拘束時間は長かったのですが、それが社会の役にたっていたかというと甚だ疑問だった訳で。


今思い返せば、楽な職場でしたね。1日14時間ぐらい椅子に座ってパソコンとにらめっこして、言い訳の作文を書き連ねて、 どうにか凌いで躱して、会社に行きさえすれば良かった訳で。 長い拘束時間に耐える体力と、罪悪感に耐えうる心さえあれば。

あとはなんだろう。子供の頃、1,000円のプラモデルを買おうとして、1,030円って言われた時とか? そう、消費税導入直後でした。当時は消費税率は3%。 子供からすれば、悪影響は大人のそれを遥かに凌ぐ大打撃でしたね。 1,000円しか持ってなくて、ポカンとしている様子を見て模型屋のおばさんは30円まけてくれたんだっけか。

極め付けは高専・大学・大学院の、授業料免除リレーかな。通らなかったら退学っていう。 お金の不安に苛まれまくりだったねぇ*5。親に「授業料免除と奨学金で大学 に行け!!」と命令形の暗示をかけられたとはいえ、よくもまあ行ったよねぇ大学院。


実をいうと中学校の頃、夏休みと冬休みしか塾に行ってないんですよ、私。 あとは一応通信教育はやってたはずですが。

そんな家庭でも国立高専、大学、大学院まで出てるという…。

そういう意味だと奨学金という借金を抱えているとはいえ、金運いいのかもしれない。

個人的には大学院より大学で留年して好きなことを思う存分やるか、さっさと就職して家族と絶縁すりゃよかったかな。 何のための高専だったのかと。まあどこで勘違いしたのか、研究者になりたいとか血迷った方向に突っ走ったんです。

社会に出ることへの不安感もあったことは否定しません。

私に必要だったのは『嫌われる勇気』よりサボる勇気と喰らい付く根性だったか。

あとは若年性白内障て退職した後の、減り続ける貯金残高の恐怖とか?

しかしまあ、思い返すとまさに貧乏人にならんほうがおかしいレベルじゃないですか、コレ。 貧乏人の子は何とやら。

振り返り

こういうネガティヴイメージに満ちた半生を送りつつも、まだ生きてるってことは、実は私は金運いいいんじゃないでしょうか。

実際問題、何とかなったわけだから、そう考えるとすごいんじゃないの、っていう。

ルール違反と私

自分がなぜ他人のズル、不正利得を許せないのか、考えてみました。


ちょっと自信がないですが、小学校の担任の先生が恐かったのが原因ではないかと。 祖母も押し付けがましいですし、母も断言口調&命令口調で高圧的。

ついでに言うと父も声が大きく人の話を聞かない*6

小学校に話を戻すと、宿題忘れるとガミガミとお説教する先生で、そこに全く宿題をやってこない変な女子がいて…。 人が怒鳴られている姿をほぼ毎日見ていたんです。

サボると親がうるさい、先生が怖い。という恐怖体験。

そういえば母親は頑固で情弱だったね。

幼稚園も確か副園長(白髪のお婆さん)がうるさかったんではないかな。


まあうるさい親と怖い先生のコンボでサボると面倒なことが起こるという固定観念ができたのかな。

心理学的に言うと、本音では自分もサボりたいのにサボれない。その葛藤が他者に向くというパターンでしょうか。


金銭教育でいうと、学校ってロクなところではないように思えてきましたよ。同級生に劣等感を持ったり、勤労意識を植え付けられたり……。 どう見ても支配層・経営層に都合のいい人間を育成していませんか。

余談

なんか一万円札をしげしげと眺めていたところ、自分の人相と福沢諭吉先生の人相にさりげない共通点を見出したような?

耳と目の下の段差というか、シワというか。

弟の方が耳たぶが大きいような記憶があるので自分は耳が小さいのかと思っていました。でもそれは弟と比べた場合であって、 平均よりは耳たぶが大きいという*7

実は私はかなりの福相なんではないかという、ささやかな希望のような。

今後のために

まあ、ひとまずはお金に対する負のイメージは出尽くしたような気がするので、確実に進歩はしていると信じたいです。

自分を許してやることで、心のクセ、かたよりが修正されます。握りしめてきた「大前提」が崩れるのです。

これを実践していこうかと。


自分に「大丈夫。お金がある。」と言い聞かせて、「高価な衣類に広い家。たくさんの貯金に幸福な家庭。全部受け取る権利があるよ。」と。

そして、贅沢する自分。がんばらない自分になる。


ひとまずこの本についてはここまで。気長に意識変革あるのみ。

*1:途中から定額制に変わりましたが…

*2:私は乳幼児の頃に会ったことがあるみたいです。あと、やせ我慢云々はあくまでも私の解釈です。異論は受け付けません。

*3:さらに付け加えると、独身寮の3DKに一人で住んでいて贅沢しすぎじゃないか、とも

*4:こんな商品で運百万円もとっていいのか、詐欺じゃないのか、みたいな

*5:一回だけ半額免除で残りは全額免除

*6:ついでに書くと躁鬱病患者

*7:そういう観点だと妹は耳たぶ小さいなと気がつきました