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自由についての試行錯誤!?(書評:『自由をつくる自在に生きる』)

自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)

自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)

森博嗣氏の、自由についてのエッセイ本。 実を言うと、この著者の本を読むのはこれが初めてです。

代表作の『すべてがFになる (講談社文庫)』の名前ぐらいは聞いたことがある、というだけです。

どこかのブログで紹介されていたので読んでみました。

概ねタイトルから予想した内容でしたが、期待以上でした。いい刺激になったと思います。

まえがきにある通り、具体的に自由になる方法が書いてあるわけではないです。

最後まで読んでもらっても、結局のところ、簡単には自由は得られない、ということがわかるだけだろう(それがわかっただけでも価値があるとは思うけれど)。(L.15)

しかしながら、いきなり「自由」と言われてもピンとこないのではないでしょうか。そもそも本当の自由とは何だろうか、というところからスタートするのが本書です。

感想

なかなか面白い発想をするなあ、と思った箇所をご紹介。読んだのはKindle版の方です。

しかし、今は江戸時代ではない。孤立しても生きていける時代である。(L.583)

それはそうですが……。同調圧力にはなかなか勝てませんね。

暗いのがどこがいけないのか。その論理的な理由は特に思い当たらない。籠もること、暗いことを規制する法律はないのである。(L.599)

身も蓋もないですが、内向的な人間としては勇気が湧いてきますね。

人材を単なる労働力として考えた場合の効率は、すなわち「団結」の度合いになる。したがって、どうやって大衆を団結させるのか、というノウハウがつまりは「指導力」だったわけである。(L.750)

これは目から鱗。どうも最近の日本政府もこの「人材を単なる労働力として」というパラダイムで物事を考えている感じがして気分が悪い。 企業がことあるごとに「協調性」だの、コミュニケーション能力が云々というのも同じ理屈なんでしょう。 果たしてこれからの時代はどうなるか。

たとえば、「毎日一万文字を書く」というノルマを決めたとする。一万文字という制限は、それをクリアしなければならない「下限」の意味だ。しかし、これを僕は「上限」だと思い込むのである。「一万文字以上書いてはいけない」という意味だと無理に捉えるのだ。(L.1664)

これも面白い発想。確かにそう考えると気分が楽になる。

たぶん、「自分勝手に生きてはいけない」という暗黙の支配を受けている人が多いのだろう。(L.1715)

いわゆる長男・長女のジレンマみたいなものでしょうか。確かに自分で自分にブレーキをかけてしまう場面は結構あるように思います。というか、優等生とか常識のある人というのはほとんどこれに該当するではないでしょうか。

著者なりの自由を得るための方法

主に以下のようなことが書かれています。

  • みんなと同じことをしないほうが得
  • 自分にとって合理的な理由で判断をする
  • 周囲の評価、定説、噂、世間体、そして常識、といったもので選ばない
  • 毎日、出来ることから少しずつ前進

世間体というのは身に覚えがあります。新卒で入った会社を辞めるときに思いっきり世間体を気にしてなかなか決断できませんでしたね。 著書の表現を借りると、「世間体に支配されていた」んでしょう。

知人を見る限り、やりたいことをやっている人というのはあまり他人の目を気にしないか、感情よりも合理的かどうかで行動しているような気がします。

代表格はホリエモンでしょうか。

過去記事で紹介した、『君はどこにでも行ける』にも同じようなことが書かれていたはずです。 audiobook.hatenablog.com

まとめ

概ねタイトルから予想したような内容でしたが、自分がうまく言葉にできていなかったものが見事に表現されています。 個人と社会のあり方、なんとなく息苦しいという方にとっての生き方の指針になるかと思います。

森博嗣氏の小説はともかく、少し変わったモノの見方に興味があるなら間違いなくオススメです。

ではまた。

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