善悪についてちょっと考えて見る?(書評:悪人のススメ いつまで「いい人」を続けるのですか)
悪人のススメ いつまで「いい人」を続けるのですか (自己啓発)
- 作者: 川北義則
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2014/08/21
- メディア: 単行本
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物足りない本。ちょこちょといいこと書いてるなあとは思うけど。コスパは良くないな。
要約すると、一生「いい人」でいるのは無理があるから無責任な善人よりは適度にちょいワルで行こうってところか。 あとナメられてはいけない、かな。 まあ全くいいところのない本というわけでもないところがまた微妙。
秀逸だと思った箇所を抜き書きしておく。
自分をさらけ出すクセつけることだ。つまり、自分の悪もちゃんと人に見せる。いい人には、これができない。自分をよく見せようということしか頭にない。
引用されているニーチェの言葉もなかなかいい。
「悪人が害悪を及ぼすと言っても、善人が及ぼす害悪に勝る害悪はない」
どっちかというと引用元が素晴らしいようにも思うけど。
いじめ関連だと、引用されているアメリカのキング牧師のお言葉もいい。
「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である」
ごもっともで。
サラリーマンに参考になりそうなのは競争社会についての節。
好むと好まざるにかかわらず、そんなレースに参加してしまった時、どう振る舞うべきか。出世意欲など全くない人、他人を押しのけるのが嫌いなタイプの人は悩むかもしれない。
そんなときは、ゲーム感覚を取り入れてみればいい。
まあそいういうゲームだと思えば、罪悪感も薄れるか。殺し合いじゃないし? 競争そのものを全面的に肯定しているくだりは若干違和感がある。
あとは嫌われ云々というところ。我が道を行くなら一部の人間から嫌われても仕方がないというのは同感。
海外事例から聖書の故事まであれこれ事例を引き合いに出してはいるけど、どうもインパクトに欠ける。 まあ言われてみればそれもアリですね、みたいな感じ。体罰肯定論あたりにどうも昭和世代くさいと思ったら著者は1935年生まれだと記載があって納得した。
どうも何冊も自己啓発本を書いている著者というのは内容が薄いというか、はっきり言ってハズレが多めな気がしてならない。
表紙が類人猿なのな如何なものかと思ったが、内容的にも読者を少しばかりなめてないか。
同じような道徳観についての本だと、北野武さんの道徳の本をお勧めしたい。
- 作者: 北野武
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/09/10
- メディア: 単行本
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まあ同じ著者の本は買わないと思った。
合理性と効率化のその先へ(書評:『東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない』)
去年あたりに話題になっていた(と思う)本。
東大の大学院を中退してプロのゲーマー(!!)になったという「ときど」こと谷口 一氏の半生を綴った本。
東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない (PHP新書)
- 作者: ときど
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2014/10/03
- メディア: Kindle版
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内容について
どう見ても著者と同年代です。大学院でやる気をロストしているという点は共通。
目次を紹介しておくと、以下のようになる。
序章 職業、ゲーマー 第1章 空気は読めなかったがゲームはうまかった日々 第2章 東大で研究に没頭、そして転落 第3章 大学院を辞め、プロゲーマーになる 第4章 プロ以降 ——情熱は論理に勝る 終章 いい人だけが勝てる世界がある
大雑把に説明すると、序章は著者の大まかな生い立ちと現状、1章〜2章が詳細な経歴。3章あたりからが武勇伝と、ゲーマーとしての葛藤と克服。
最初はまさに受験秀才という感じで、勝ちパターン(=公式)を見つけ出したらそれをとことん反復するというタイプ。そこから、勝ちパターンの通用しない相手への対処法(臨機応変に対処すること)、何をしてくるかわからない相手などとの遭遇を通じて人間としても技能面でも成長していったという感じ。
ゲームは詳しくないので勘違いしているかもしれませんが、最初は合理性の権化だった筆者が、徐々に価値観の変遷というか、自分の殻を破っていく過程は非常に面白い。
論理だの効率だのと書いている「ときど」氏ですが、勝ちパターンを確立した後はひたすら反復練習というあたりは、信じらえないほど泥臭い。
ある意味では要領の良さで世を渡る受験秀才とは次元が違う。
面白いと思ったところ
第2章より
僕はもともと、Sさんの情熱に当てられて研究に没頭しはじめた。Sさんという火の元がなくなれば、僕の情熱が消える。
(中略)
じゃあ自分が夢中でやれよと思うだろうが、そのとき僕は、自分で自分に火を灯せるような状態ではなかった。新しい火の元もなく、僕は自分に火をつけることができなかった。
京セラの創業者、稲盛和夫氏の自燃性、可燃性、不燃性という話を思い出した。 自燃性というのは、自ら情熱を持って物事に取り組み、周囲を感化していく人。 可燃性というのは、この場合、誰かの情熱に共鳴して物事に取り組む人。最後の不燃性というのは、人のやることを批判したり、他人の情熱を奪う人のことを言う。
研究者という観点では「ときど」氏は可燃性タイプの人間だったのか。 ……自分も可燃性だな、昔はともかく今はそう。
第3章より
僕の合理性は、僕の情熱が生み出したものだった。情熱から生まれた合理性こそが、僕を成功や達成感に導いてきた。だから僕は自分が情熱を燃やせる仕事を選んだ。情熱を持って仕事をしている人間がいる世界を選んだ。
いい決意。今の日本社会にかけているのはこういう発想。
今の自分に情熱を燃やす対象はないけどね。
第4章より
プロとしての心構え
では、プロとアマチュアの違いは何か。それは、「業界の発展をどれだけ考えられるか」ということだと思う。
これは素晴らしい発想だと思う。果たして今のプロスポーツ選手にこう言う考え方の人間がどれだけいるだろうか。
例えば業界の発展を考えている経営者と、目先の利益だけを考える経営者。 プロと言えるのは前者でしょう。スポーツや将棋などの競技選手に限らず、経営者に置き換えても通用するような気がします。
ごり押し戦術
僕の戦い方は、言ってみれば、「ひとつの絶対的な勝ちパターンを編み出して、それを相手に押し付ける」ものだった。過去の僕は、このやり方で勝ち星を積み重ねてきた。それだけ強力な公式だったわけで、大多数のプレイヤー相手なら、この戦法でまず圧勝できた。
相手に押し付けるという発想は新鮮。マジック・ザ・ギャザリングというカードゲームをやってた頃の自分と似てる。自分の場合はいわゆる緑単速攻、ストンピィというタイプ。速攻ごり押しで相手のライフを削るというやつ。コストパフォーマンスのいいカード、攻撃を補佐する特殊カード*1の組み合わせを追求するという。
駆け引きもなしの力押し。ちなみに長引くとすごい不利。そして相手と観客はちっとも楽しくない。
なるほど、Aという技にはBという技で返すと有効だ——そう発見したら100年目、ほかのことに見向きもせずに練習するが、そのBという技が返されたらどうしようとは、まったく想像すらしない。
うん、自分と似てる。思考の底の浅さ、と言えばいいのか。一種の早とちりとも言える。
成功者は自分のやり方に固執して失敗する、という話?
勝っている限り、自分のやり方に固執する。うまくいっているのだから、それ以上の改善は要らない。試行錯誤が止まる。そして、いざ自分のやり方が通用しないとなると、混乱して慌てふためくのだ。
このあたりは私も同じ。正解(またはそれらしきもの)を見つけるとそこで思考停止というか、満足してしまいがち。
相手は人間
予選で勝った相手に、それも同じ日の決勝トーナメントで負けた話から。
やはり受験とゲームは、違ったのである。タスク処理能力だけでは、人間には勝てない。格ゲーは、人間対人間の勝負ごとだ。レベルが上がれば上がるほど、公式が通用するような、定型的なものからは逸脱していく。より複雑で、より予測がつかないものになる。マシンでは勝てない世界になっていく。
特定のパターンをプログラムされたコンピューターと、即座に修正・対応できる人間の差。 操作の正確さを突き詰めていくと、臨機応変に対応できるかが問われるというのは興味深い。
最短ルートか、それとも
勝ちたいあまり、勝ちに直結するような選択肢ばかりを探そうとしていた。しかし、勝ちに即つながらない選択肢のなかにも、強さの理由は隠れているのだと、僕は学んでいった。
一言でいうと、迂直の計かな。最短ルートを突っ走ろうとすれば相手には見え見えの一手になってしまう。あえて遠回りするふりをして油断させる、あるいは自分に都合の良い状況を作り出す。
よく考えると、受験にはそういう思考訓練の要素はあまりない。とすると、東大に合格するほどの人間であると、駆け引きより最短ルートまっしぐらという方向性になるのも無理なしか。
感想
ゲームと私と
実を言うと、私はテレビゲーム禁止の家庭で育っています。ゲーム自体は親に隠れてゲームボーイでポケモンをプレイしたり、友人宅で多少はやったことがあるぐらいです。 高専の寮で多少はやったりもしたけど。
要するにゲームは苦手ですし、好きじゃないです。だってボロ負けですから。家にないものはどうしようもない。例えるなら、いつもバスケットボールをしている子供相手に ドリブルすらマトモにできない子供を対戦させたらどうなりますか*2?
まともに勝負になリません。基礎的な動作ができていないわけだから。
反復練習の時間さえ与えられない限り、改善はしません。そういう点においてはゲームも運動も同じですね。 私はテレビゲームで相手に勝ちたいと本気で思ったことはないです。なぜかはわかりません。
学校の勉強はできましたからあまり悔しいと思わなかったのでしょう。 根本的に負けん気、つまり勝利への情熱みたいなもがなかったんですね。
まとめ
本書の内容とは外れますが、よく経営者が好むキーワードとして、ヒト・モノ・カネというものがあります。 インタビューなんかでも「この3つのどれか最も重要だと思われますか?」という質問があったりします。
本書を読んでみて、私の答えはこのいずれでもなく、情熱であると思いました。
情熱がなければ困難に打ち勝とうと思わない、つまり、やる気が湧かないでしょう。
本書の要点は、ゲームで相手に勝ちたいという情熱が論理的な思考や徹底的な反復練習につながった、というものです。 合理性と泥臭さの同居、そしてそれを支える勝ちたいという情熱、その辺りが成功の鍵だったのかなと思いました。
それでは。
今週のAudible
メインブログの方に書いた通り、Audibleでオーディオブックを聞いています。
今週聴いたものを紹介しておきます。必ずしも最初から最後まで聴いたわけではないです。
『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル』
- 作者: フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
- 出版社/メーカー: オトバンク
- 発売日: 2015/04/01
- メディア: Audible版
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以前、一世を風靡した本の簡略版。朗読少女シリーズなので可愛らしい声で棘のある含蓄のある言葉が耳に流れ込んできます。
サクサクと胸に刺さります。
というか、胸に刺さって瀕死ですけど…。
書籍はこちらかな。
- 作者: 白取春彦
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2015/11/19
- メディア: 文庫
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- 作者: 白取春彦
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2010/01/12
- メディア: ペーパーバック
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『実践・中村天風』
- 作者: 清水克衛/沢井淳弘/池田光
- 出版社/メーカー: パンローリング株式会社
- 発売日: 2012/04/20
- メディア: Audible版
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天風哲学だけでなくて、瞑想のコツなんかも書いてあります。瞑想がうまくできないという方にもおすすめ。 悩み事の解決方法のヒントなどなど参考になります。
書籍もあります。
- 作者: 清水克衛,沢井淳弘,池田光
- 出版社/メーカー: プロセスコンサルティング
- 発売日: 2011/11/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『工藤公康 「10年先の自分」をつくる』
- アーティスト: 工藤公康(著)、藤原勝也(朗読)
- 出版社/メーカー: NHKサービスセンター
- 発売日: 2014/06/25
- メディア: MP3 ダウンロード
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これ聴いていると工藤監督が就任1年目で日本一というのも頷ける。 継続的に結果を出さなければならない立場の人にオススメかと。
組織論から負け癖への対処法まで。
- 作者: 工藤公康
- 出版社/メーカー: 中経出版
- 発売日: 2013/10/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『仕事も人間関係も「すべて面倒臭」いと思ったときに』
- 作者: 石原加受子
- 出版社/メーカー: NHKサービスセンター
- 発売日: 2013/05/29
- メディア: Audible版
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石原加受子さんの自分中心心理学の本、のオーディオブック版。
ああなるほどというのが半分、自分の不甲斐なさにちょっと苛立つところもある。
聴いていると余計に他人と関わる必要性を感じなくなってくるのですが、それでいいんですかね?
何はともあれ、人に頼るのが苦手とか、自分でやりなさい的な家庭で育った方におすすめ。少なくとも、気持ちが楽になります。
Kindle版もあり〼。
お金にまつわるマイナスの思い出と向き合う(書評:『一生お金に困らない生き方』その2)
前回の続きです。
心のクセ
対象は、心屋仁之助さんの、『一生お金に困らない生き方』。
- 作者: 心屋仁之助
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2015/04/17
- メディア: Kindle版
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第3章より。
貧乏な人には貧乏になる心のクセがあります。お金持ちの人にはお金持ちになる心のクセがあります。
というくだりを踏まえたうえで、いろいろと個人的に思うところを書いていこうかと。
お金に対する負のイメージ
まずはお金に対して持っているネガティブなイメージが、どこで形づくられたのか、その大本を探っていくことが大事です。
お金もうけは汚いとか、お金を使うの悪いことだとか、お金は苦労して稼ぐものだというイメージが、どこからきたのか、振り返ってみるのです。
というわけで(?)、自分の中のお金に対する負のイメージの原因を書き出してみました。
- 家の手伝いをしないと小遣いをもらえなかった幼少時代
- 皿洗い100円、風呂掃除100円(途中から50円)、洗濯物を干すと50円*1
お金を得るためには代償が必要だという刷り込み、ですね。同級生は風呂掃除一回500円とかいう家庭があったり。 頑張って皿洗いで一万円貯めたという、成功体験が裏目に出たかな。
サボればよかったんですね、サボれば。グレるとか親が根負けするような方向に。
- 母と服を買いに行くと、必ず欲しい方ではなくて「安い方にしなさい」
- 安くても古くても「それでいいでしょ」「(今、家にあるヤツで)別にいいでしょ」
- やりくりに苦労する母親の姿
- 鬱で寝ている父の姿、家のお金を持ち出す父の姿
- お金がない、うちは貧乏だからという母
- 金持ちの家庭は不幸だ(という父の負け惜しみ)
- 小学校、中学校と高額なお年玉をもらう同級生が羨ましかった思い出
- 1,500円のプラモデルが欲しくて(珍しく)駄々をこねたのに買ってもらえなかったりとか
これは存在給が低くなるのも当たり前。親からの無条件の愛が乏しい。セルフイメージも落ち込む。起業家に親が公務員とか電力会社とか安定した職業の家庭の子供が多いのもうなづける気がする。
欲しい服を買ってもらえない自分。自分より成績の悪い同級生より明らかに劣るお年玉の金額…。どれだけ子供の自尊心を気づけるでしょうか。
さらにいうと、結婚=貧乏というイメージもある。そりゃ父親が働かないってそういうこと。 そして、頑張らないと貧乏になるという強迫観念。
二宮尊徳の漫画形式の伝記を読まされたりもしましたね。よく考えるまでもなく、二宮尊徳って典型的な「働かざるもの食うべからず」思想ですよね。 戦後になってから二宮尊徳を盛んに取り上げるようになったという話も聞いたことがあります。 GHQというより資本家の陰謀ではないですか。
うちの両親は森信三氏の勉強会に出入りしていましたから、その森信三式の、清貧・やせ我慢哲学の影響も少なからず、あったのでしょうか*2。
病気で会社を辞める前、確かにたいして働いてもいないのにこんなに貰っていいのかという違和感はありましたね*3。 どちらかというとお客さんに対して*4。 確かに拘束時間は長かったのですが、それが社会の役にたっていたかというと甚だ疑問だった訳で。
今思い返せば、楽な職場でしたね。1日14時間ぐらい椅子に座ってパソコンとにらめっこして、言い訳の作文を書き連ねて、 どうにか凌いで躱して、会社に行きさえすれば良かった訳で。 長い拘束時間に耐える体力と、罪悪感に耐えうる心さえあれば。
あとはなんだろう。子供の頃、1,000円のプラモデルを買おうとして、1,030円って言われた時とか? そう、消費税導入直後でした。当時は消費税率は3%。 子供からすれば、悪影響は大人のそれを遥かに凌ぐ大打撃でしたね。 1,000円しか持ってなくて、ポカンとしている様子を見て模型屋のおばさんは30円まけてくれたんだっけか。
極め付けは高専・大学・大学院の、授業料免除リレーかな。通らなかったら退学っていう。 お金の不安に苛まれまくりだったねぇ*5。親に「授業料免除と奨学金で大学 に行け!!」と命令形の暗示をかけられたとはいえ、よくもまあ行ったよねぇ大学院。
実をいうと中学校の頃、夏休みと冬休みしか塾に行ってないんですよ、私。 あとは一応通信教育はやってたはずですが。
そんな家庭でも国立高専、大学、大学院まで出てるという…。
そういう意味だと奨学金という借金を抱えているとはいえ、金運いいのかもしれない。
個人的には大学院より大学で留年して好きなことを思う存分やるか、さっさと就職して家族と絶縁すりゃよかったかな。 何のための高専だったのかと。まあどこで勘違いしたのか、研究者になりたいとか血迷った方向に突っ走ったんです。
社会に出ることへの不安感もあったことは否定しません。
私に必要だったのは『嫌われる勇気』よりサボる勇気と喰らい付く根性だったか。
あとは若年性白内障て退職した後の、減り続ける貯金残高の恐怖とか?
しかしまあ、思い返すとまさに貧乏人にならんほうがおかしいレベルじゃないですか、コレ。 貧乏人の子は何とやら。
振り返り
こういうネガティヴイメージに満ちた半生を送りつつも、まだ生きてるってことは、実は私は金運いいいんじゃないでしょうか。
実際問題、何とかなったわけだから、そう考えるとすごいんじゃないの、っていう。
ルール違反と私
自分がなぜ他人のズル、不正利得を許せないのか、考えてみました。
ちょっと自信がないですが、小学校の担任の先生が恐かったのが原因ではないかと。 祖母も押し付けがましいですし、母も断言口調&命令口調で高圧的。
ついでに言うと父も声が大きく人の話を聞かない*6。
小学校に話を戻すと、宿題忘れるとガミガミとお説教する先生で、そこに全く宿題をやってこない変な女子がいて…。 人が怒鳴られている姿をほぼ毎日見ていたんです。
サボると親がうるさい、先生が怖い。という恐怖体験。
そういえば母親は頑固で情弱だったね。
幼稚園も確か副園長(白髪のお婆さん)がうるさかったんではないかな。
まあうるさい親と怖い先生のコンボでサボると面倒なことが起こるという固定観念ができたのかな。
心理学的に言うと、本音では自分もサボりたいのにサボれない。その葛藤が他者に向くというパターンでしょうか。
金銭教育でいうと、学校ってロクなところではないように思えてきましたよ。同級生に劣等感を持ったり、勤労意識を植え付けられたり……。 どう見ても支配層・経営層に都合のいい人間を育成していませんか。
余談
なんか一万円札をしげしげと眺めていたところ、自分の人相と福沢諭吉先生の人相にさりげない共通点を見出したような?
耳と目の下の段差というか、シワというか。
弟の方が耳たぶが大きいような記憶があるので自分は耳が小さいのかと思っていました。でもそれは弟と比べた場合であって、 平均よりは耳たぶが大きいという*7。
実は私はかなりの福相なんではないかという、ささやかな希望のような。
今後のために
まあ、ひとまずはお金に対する負のイメージは出尽くしたような気がするので、確実に進歩はしていると信じたいです。
自分を許してやることで、心のクセ、かたよりが修正されます。握りしめてきた「大前提」が崩れるのです。
これを実践していこうかと。
自分に「大丈夫。お金がある。」と言い聞かせて、「高価な衣類に広い家。たくさんの貯金に幸福な家庭。全部受け取る権利があるよ。」と。
そして、贅沢する自分。がんばらない自分になる。
ひとまずこの本についてはここまで。気長に意識変革あるのみ。
書評:『一生お金に困らない生き方』
前回に続いて、心屋仁之助さんの本です。お題は『一生お金に困らない生き方』。
一気に読んでしまいました。読みやすくて面白い本です。
- 作者: 心屋仁之助
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2015/04/17
- メディア: Kindle版
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一番のキーポイントは「存在給」という発想と、「お金は空気のようにそこかしこに存在している」という意識のあり方でしょうか。
タイトルどおりに、一生お金に困らないかどうかは、自分の持つお金に対するパラダイムを変えらえるかどうか。
ちょっと危ないスピリチュアル系の気配もしないではないですが、割とまともな心理学系の本と一致している部分もあるんで完全に眉唾ではにと思います。
以下、各章ごとに抜書きプラス個人的な経験も踏まえていつも通りグダグダと。
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